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- 毒親
母はいったいいつから別居と離婚準備をしていたのだろう?
逃げてきた新しい町は車で小一時間の隣り町だった。
そこで母は、小さな工場を営む家の家政婦の仕事を始めたのだ。
古いアパートは、住み込み扱いで借りてくれたので家賃は賃金から引かれていたらしい。
アパートのご近所には犬やうさぎを飼っている家があって、動物好きの私は嬉しかった。
母からはちゃんとした説明はなかったと思う。母だってそれどころではなかっただろうし。
家具も家電も何もない6畳一間の風呂なしアパート。
布団とかはいったいいつ用意したのか?
父の目を盗んで、ひとりでこっそりとここへきて準備をしていたとは考えにくい。
子どもの頃はわからなかったけれど、
あのアパートは電車とバスを乗り継いで1時間以上はかかる。母は車も持っていなかったし、サクッとひとりで面接に来れるほど便利な場所ではなかった。
でもきっとどうにかして一度は下見に来たのだろうな。
叔父や叔母に頼んで少しの荷物は運んでもらって準備していたのだろうか?
生活に必要な物は周りの人達から、譲ってもらったりして少しづつ揃えていったのだと思う。
29歳の若さで3人の幼い子どもを連れて家出。
そんな行動力。自分だったらできただろうか?
29歳といえば、私も最初の夫と離婚を考えていた。
母は毒母だったと思うけれど、母は母で苦労してがんばっていた。
だから余計に、母に何を言われても自分の気持ちは素直に言えなかった。
忙しいのに悪いなとか、苦労かけないようにしなくちゃとかいつも気をつかっていたと思う。(それはいまも)
突然、生活環境が突然変わって。
そうだ、近所に住む同級生の友だちにも何も言ってないんだったとか。
急にいなくなって近所の人に噂されてるのかな。
なんて考える余裕もなく、目まぐるしい夏休みが終わると2学期から新しい小学校への転校が待っていた。
もともと人見知りで新しい環境に適応することが苦手な私。
小学二年生の2学期はつらい思い出しかない。
* * * * *
写真は今日のウオーキングで落ちていた百日紅(サルスベリ)。
だいぶ気温が下がって、歩いていても気持ちがいい。
最後までお読みくださりありがとうございました。