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- 毒親
転校先の小学校は、少しだけ都会に感じた。
私はひとり田舎から出てきたおのぼりさんのような気持ちで新しい教室に入り、担任教師に紹介されて挨拶をすると軽いどよめきが起こった。
その理由は、
このクラスに私と同じ名字の子がすでに4人くらいいたからだ。
「あっ!また〇〇(私の名字)だー」
ザワザワ(笑)みたいな。
そんな事情を知らない私は、
なに?なんか自分が変なの?とオドオドしてしまう。
その理由が名字のことだとわかって、そのあとすぐに友だちはできたけれど。
教科書の内容や微妙に違う学校のルールになかなか馴染めない。
一番大きく違ったことは、以前は給食だったけれど、新しい小学校はお弁当だった。
何が嫌かというと、私のお弁当箱はアルミで全然可愛くなかった。
しかも母の料理は美味しいけれど茶色のおかずばかり。
おにぎり2個と小さなアルミのおかず入れがひとつ。
何とも質素である。今のようにキャラ弁とかの時代ではないにせよ、女の子のお弁当箱とはほど遠い。
お金もなく着の身着のままで逃げてきたのだから、節約に節約を重ねていたに違いない。
子ども心に母の苦労は受け止めていたから文句も言えなかった。
だけど、転校生は何かと注目されるのだ。
一度からかわれて、人前でお弁当箱を出すのが嫌になった。
おにぎりだけを食べるようになって、おかずは家で食べるようにしていた。
それと最初に笑われた名字は、母の旧姓だった。
転校を機に私の名字は父から母の旧姓に変わったのだ。
母はとても雑なところがあって、持ち物の名前(以前の名字部分)を油性ペンで黒く塗り潰して横に新しい名字を書くという斬新ぶり、、。
黒く塗りつぶしたとはいえ(それも雑に)よく見れば透けて見えるくらいの適当さ。
それを好奇心旺盛な子どもたちが黙っているはずもなく。
えっ?なんかちがう名前が書いてあるよ?なに?なに?
とみんなに聞かれてしまったのだ。
私は、親が離婚したから名字が変わったと自分から告げた。
そして私はそのまま泣いてしまう。
すると周りの子たちは、〇〇ちゃん(私の名前)、離婚してお父さんがいなくなって悲しくて泣いてるよーとか言い出される。
泣いた理由は、みんなの前で親が離婚したことをわざわざ自分から発表しなきゃならなくなったりそれによって必要以上に目立ってしまったことのストレスだった。
みんなと仲良くなるに連れて特定の友だちに話すならまだしも、クラスのみんなに知られるのも嫌だったし。
そんなことで余計に目立つのも、みんなの前で話すのも、なんかもう色んな意味で嫌だった。
親の離婚は子どもの私にとっては突然の出来事で、自分自身もまだ消化しきれていない問題だったはずだった。
なんだかそんな事があってからというもの、お弁当の時間がトラウマになって、自分の中で嫌な時間だとインプットされてしまった。
ときどき学校に行くのが嫌になって途中で家に帰ることもあった。
不登校と呼べるほどでもなく、ほんの数回だけ。
母が仕事で忙しいのに学校に呼び出されるのも申し訳ないし、母になるべく心配をかけたくないしで。
長女だった小さな私は、ずっと親に気を遣って生きていたのだ。